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「民医連とともに」医師として、被爆者の方や労働者に寄り添って

「民医連とともに」講演会

「民医連とともに」 被爆者・働く人に寄り添って 

 ふたわ診療所の所長(船橋二和病院名誉院長)の、高橋稔先生の講演会に参加しました。

 

先生は、昭和16年生まれ。東京の下町に住んでいましたが戦火を逃れ、千葉県柏市に疎開。朝鮮戦争や日米安保問題など激動の時代を高校生として過ごしました。

 

 先生が小さいころ医師を目指したのは、軍医を薦める家族の影響もあり、お金を儲けられる医師になりたいと思ったから。千葉大に合格した当初は「大学院に残り、博士号を取った後、開業しよう」というものだったそうです。

 

「民医連とともに」講演会

大学3年生の時にベトナム戦争が始まり、罪の無い母子や住民が殺されるのを見て、再び戦争反対の行動を始めました。

 

 そんな中、大きな転機となったのは当時の千葉民医連が医師や医学生を募って行っていた「健康診断」。大学では「病気になれば大学病院にかかるのが病院と患者との関係と思っていた。」「お金が無くて病院にかかれない人を初めて知った。」このことが後に自分の進路を決めたとおっしゃっていました。

 

(民医連で研修を介してからのお話です)

3年目に鉛中毒の労働者に会い、健康を破壊する要因に日常の労働条件や環境が関連している事を知った。そして地域の方と環境を守り、労災を認めさせる運動も、病気の原因を根源から治す医師の仕事である事を学んだ。
また「被爆者健診」での被爆者の方との関わりを通じて、医師に相談したくても言えないことがあり、被爆者の「自分だけ生き残ってしまった」「周りの人を助けられなかった」「被爆者として差ベルをうけること」などの負い目がある事を知った事で、被爆者の方や労働者に寄り添える医師になろうと決めたと。

 患者は体調については話すが、心配ごとはなかなか言えない。心を開いてもらわずに患者を帰してはいけない、つらさを共感できる気持ちを持つ事の大切さを知り、「核兵器の被害と被爆者の健康管理」「二度と被爆者を作らせない、戦争をさせない運動を続けること」を自分の行動目標にした、とのお話でした。

 

 また、この間の政府の医療・介護・福祉制度改悪との「たたかい」からも、憲法25条の素晴らしさと憲法を守る立場というものを学んだとお話がありました。

  

高橋先生は、7月21日(金)にも船橋二和病で、

「患者さんから訴える社会の病」というテーマでお話しされる予定です。

ぜひ、興味のある方はお問い合わせ下さい!

参加申込・お問い合わせはこちらから

千葉民医連では
被爆者健診は医学生さんによるボランティアも募集しています。次回は10月1日(日)です。

詳しくはこちらをご覧下さい

*1 1957年に原爆医療法が制定され、約20万人の被爆者に被爆者健康手帳が交付されました。それと同時に被爆者に対する「被爆者健診」が始まりました。千葉では原水爆禁止千葉県協議会より健康診断の要請を受けた千葉民医連の病院が、原爆医療指定機関の取得をし、被爆者医療の学習や研修を重ねて1970年に9月から被爆者健診がスタートしました。

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